UR都市機構のHPを見てふと目についた、UR主催のフォトコンテスト。
「まだ続いていたのか!!」と、とても嬉しく感じた。
このフォトコンテストの発案・企画と第1回目のプロジェクト立上げの主担当者は僕だ。
※今は「復興」パートがあるようだが、当時は「団地」パートのみ(写真の中に「URの敷地や建物が必ず入ること」という応募条件)でスタートさせた。
入社5年目・2005年に首都圏全体のUR賃貸住宅の広報PR・販売促進業務を担っていた時だった。
単なるフォトコンテスト一つをとっても事務局立上げ・告知・応募写真管理・受賞者の選考方や授賞式、プレスリリースまで大変で試行錯誤しながら取り組んだのを思い出す。
URとして初の試みだったので、管理部門からは「居住者を写すなんてプライバシー上、ありえない。クレームになったらどうするんだ!!??」といった声もあったが、周囲や組織を巻き込み協力を得てプロジェクトを推進した。
僕は、小学生から田舎で母子家庭で育ったこともあり、公的機関の存在意義や社会のセーフティネットの大切さを何となく感じて成長した。
今、大人になって過去を振り返ってみれば、「人格は、親のみに限らず、様々な周囲の人たちとの関わり合いの中で形成されていく」という感覚があった。
当時、自身も家族でURの団地に住み、娘を育てる中でより一層、「団地」が単なる「箱」ではなく、「コミュニティ」を形成しており、そのなかで娘が色々な人たちと触れ合い揉まれ、たくましく成長していく姿を見て、とても嬉しく感じていた。
当時は、WEB広告が少しずつ広まりつつある時代であったが、URは新聞広告や折込チラシを主に「敷金礼金・手数料・更新料」が不要であるというコストメリットを主に訴求し販促していた。もちろんコストメリットは生活者にとってとても大切だ。
しかし自身の実体験から、UR賃貸住宅に住むことのメリットはお金だけではなく、「そのコミュニティの中で生活し時間を過ごしていくことそのもの」でもあると考え、もっと表現した方がいいのではないか??と感じていた。
フォトコンテストが今も続いている。
「そもそもの存在意義。何か根底に流れる意味や本質。」は、お金に代えられないくらい大切であり、「本質を捉えたものは永続きする」ということだとも感じられないだろうか?
URがその後図らずも「復興」という大きな役割の一端を担っていくなかで、ちっぽけなフォトコンテストが更にパワーアップし継続していることに僕は「意味」を感じた。